建築的文法の解体

いわゆる近代建築の誕生以降、
いわゆる建築家は多くの場合、何らかの言葉と建築をセットで発表している。
今風に言えばコンセプトとよばれるものだが、その言葉が建築を制限していることはないだろうか?


別の言い方をするならば、新しい言葉の発明が新しい建築につながることはないだろうか?
というのも最近、ある大学の講評会をのぞいたのだが、
そこで学生の話す言葉は明らかに今風のものばかりで、どれも同じように聞こえてしまった。
それぞれの人がキチンと考えているのはわかる。
ただ一歩引いて眺めてみると、みんなが同じような文法にのっとって話しているような気がした。
具体的には「情報」「都市」だったりするのだけれど
そうした言葉から一度離れてみない限り、あらゆるプロジェクトは形態の新奇性だけを追い求める
ことになってしまうような気がしてならない。
特に実施を前提としない学生のプロジェクトの場合はその危険性が高い。


まあ形態だけでも新奇なものができればそれはそれで楽しいじゃないか
といわれればその通りで、僕自身も外観だけ見て「お〜かっこいい〜」
とか言ったりしているんですが・・・・・