一粒で2度オイシイART

を見に行った。
場所は東京都写真美術館
すごく面白かった。といってしまうとそれで終わりだけど本当に面白かった。


そこで何でこんなに面白いのかちょっと考えてみることにしました。
(ここで面白いと言ったのは、以前講演を聞きにいった岩井俊雄の作品)


僕は絵画や彫刻も見ますが、そういうのって誰かがつくったものがおいてあってそれを見て
「すごい」とか「たいしたことないや」とかいろいろ思う訳です。


岩井俊雄の作品はそれとちょっと違っていて、
「すごい」とか「たいしたことないや」とかいろいろ思う対象に、自分自身も入り込めるような仕組みになっています。つまり、誰か別の人がつくって完成されたものを鑑賞するのではなくて、自分自身も制作者の一部になれるし、さらにそれを鑑賞者として楽しむことができるのです。そういういみで一粒で2度オイシイARTといえるのではないかと。


(以下徐々に妄想になっていきます)
この自分が制作者であり、鑑賞者でもあるような二度オイシイ視点というのは、建築でもけっこう大事なのではないかとおもいます。建築は設計者がいるから制作者にはなれないのではないか?という疑問はあると思いますが、僕が言いたいのはちょっと違います。


つまり建築の見方って見る人によって随分変わると思うのです。建築を見る時は、多くの場合、自分で動きながら見たり触ったりして、その結果、あれはいいとか悪いとかいいます。これって設計者がいて、そこに自分が入り込んで、その結果について評価しているわけで、その構造は岩井さんの作品と同じだと思うわけです。


ただこういう事って別に建築を見る事に限らなくて、僕らは毎日自分の意志で移動しているわけだし、その結果として視点はダイナミックに変わっていきます。つまり、よく考えると一粒で二度オイシイ状態は別に特別なことではなくて、ごく日常的な事なのです。以前荒川修作が「首をまわして視界が変わるのは革命的な事だ」というような意味の発言をしていましたが、何となくその意味が分かった気がします。