あたらしければいいのか

重苦しい内容が続きます

「建築とは発明と発見」と言ったのは二川さんですが、
確かにその通り、と思いながらもちょっと疑問もあります。


今では信じられませんが、第二次世界大戦以前は近代建築における
「新しい様式」を確立しようとする動きが確かにありました。
近代建築にある種の普遍性のある形を求めていたと言ってもいいとおもいますが
浜口隆一、丹下健三前川國男といった人物にははっきりとそうした傾向が見て取れますし
リチャーズも同じような事を考えていたと思われます。


現在に戻って考えてみると
「建築とは発明と発見」という言葉にも現れているように
「あたらしい」建築、とか
「いままで見た事のない」建築とか
建築の新奇性みたいなものが一つの大きな評価軸になっているような気がします。


「あたらしい」建築を求める態度というのは一見ごく当たり前の事のように感じますが
半世紀以上前に近代建築の新しい様式を求めて態度とは大きな違いがあるような気がするのです。
乱暴にまとめれば
なぜ建築家は「普遍性」を求めるのをやめて「新奇性」を求めるようになったのかという疑問があるわけです。
果たしてこれは疑問として成立しているのかも含め考え中です。