反省の行方
以前、職場で図面を書いていたときのこと。
たしか、外装材のディテール図だったともいますが、八割がた終わったところで急に先輩にチェックしてもらうことになりました。予定外だったのですが、その時点までの図面を見せると、怒られてしまいました。
なんでも僕の図面のレイアウトが汚いとのこと。僕からしてみると、納まりならともかく、レイアウトを言われても困るなと思いつつもその場は、終わりました。
それで、家に帰ってふと思ったのですが、今日先輩が怒った原因というのは、PCで図面を書くということが影響しているような気がしたのです。つまり、パソコンが無い時代には、図面のレイアウトは最初に一度決めたらずっと変えられないものだったはずです。だから、たとえ完成途中であっても、レイアウトが汚いものは完成しても汚い。
でもパソコンの場合は図面の精度とレイアウトは図面完成まで直接的な関係はないはずです。もちろん用途が決まっている場合はだいたいレイアウトもきまるとはおもいますが、紙の上の図面の並べ方は最後にいくらでも調整できるわけです。
こう思ったとき、なんだか僕はとてもスッキリした気がしました。きっと先輩が僕を怒った理由はこういうことなんだと自分なりに理解することができたからです。
でも、やっぱりそうじゃないだろと僕は思うのです。
たしかに、僕が怒られた原因は、手で図面を書いてきた世代とPCで図面を書いてきた世代の間の違いというのがあるのかもしれません。でも一方で、僕の見せた図面が完璧なレイアウトだったかというと、(怒るほどじゃないだろとおもいつつも)そうではありません。つまり僕がすべきは、怒られた理由を探すよりも、素直に反省して、次からたとえ途中であっても、ちゃんとレイアウトしたものを見せることではないかと思うのです。
何かあったときにその理由を探すのは当然のことだし、必要なことだとは思います。でもいろいろいわずに素直に反省することもたいせつではないかと思うわけです。