016 into the wild

抽象度の高い言葉が連続すると、意味がとりづらい。例えば、「リンゴは赤い」といえば、それまでだけど「倫理は愛と対立する」とか書いてあると何の事だかよくわからない。それは「倫理」とか「愛」とう言葉が全然具体的ではなくて人によってイメージするものが違うからだと思う。ただ、それを書いた本人としては、そうとしか書きようのないから書いているわけで、それを別の言葉に置き換えてなんとか伝えようとするから、哲学書はどんどん長く難しくなっていく気がする。


抽象度の高い「哲学的な言葉」は、読み手の解釈を強く要求するが、人は置かれた環境によってずいぶん考え方も変わるので、「哲学的な言葉」も環境によって意味が大きく変わってくる。どんな言葉でもその意味は、環境によって変わるけど「哲学的な言葉」は特にその度合いが強いとおもう。酒の席で叫ばれる「友情」と、たった一人で暗闇の中でおもう「友情」は随分と違うものだろう。


「into the wild」で主人公はたくさんの「哲学的な言葉」を口にするが、その言葉たちは、主人公が死に近づくにつれ輝きをましゆく。人が社会を捨て、自然に近づき、孤独になればなるほど抽象度の高い言葉が、具体的にイメージしやすくなる。そして彼が死ぬ瞬間の映像にはまだ言葉にできていない、とても大切な人間の思いが表現されていた気がした。

(意味のないことを小難しく語ってカッコつける人たちはみんなアラスカにいけばいい)


何がいいたいかというと非常によい映画でした。