丹下健三←荒川修作

丹下健三氏が亡くなられた。
これでまた20世紀を代表する建築家が一人いなくなってしまった。
ご冥福をお祈りいたします。


彼の死を持って一つの時代の終わりを語ることは容易だろう。
でもそれは、丹下健三の死それ自体が意味するものではなくて
それを聞いた人々が感じることだと思う。
聞き手の解釈によって意味はいかようにも変わりえる。
僕らは彼の死をどう読み取るのだろうか


そんなことを考えたのは荒川修作の話しを聞いたから
荒川修作は「人は死なない」という。
僕なりの理解でいうと、人の本質たるものは身体の中にあるのではなく、身体の外側にあらゆる人々の諸関係の総和として存在するものであり、身体の活動停止が人の死を意味するものではない。というようなことだと思う。
私は私の中にあるのではなく私の外側にある。といったところだろうか
書いていてかなり危ない話だとは思うものの不思議と納得できるのは荒川修作の力だろうか


何を書いているやら・・・

昨日ふと小林秀雄の「無常という事」を読み直してみた。
有名すぎる文ではあるけど多少引用すると

小林秀雄曰く「新しい解釈なぞでびくともするものではない、そんなものにしてやられる様な脆弱なものではない、そういうことをいよいよ合点して、歴史はいよいよ美しく感じられた、」
そうであり「思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんな間違えている。僕らが過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕らによけいな思いをさせないだけなのである。」
「上手に思い出すのは非常に難しい。だが、それが過去から未来に向かって飴の様に延びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそれが現代に於ける最大の妄想と思われるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思える。」


この考え方をしてもう一度荒川修作の思想を考えると・・・

今日は謝恩会 仕事進まず
60点